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初川満(はつかわ・みつる 横浜市立大学法学部教授)
少数者の人権 ―例としての性転換者の権利―
初川満編『二十一世紀の人権』(信山社出版・2000/04/30179215

ISBN: 4797218959

last edited 2002/01/17斜字は引用者が挿入)


目次

   

   問題の所在

1) 概説
2) 性転換とは
3) 問題点

   日本における性転換者

1) 概説
2) 法的な位置づけ
3) 社会制度上の位置づけ
4) 小むすび

   ヨーロッパ人権条約と性転換者

1) 概説 ―プライヴァシーの権利―
2) 性転換者の法的地位

(i) X v. F.R.Germany事件
(ii) Van Oosterwijck事件
(iii) Rees v. U.K.事件
(iv) B v. Franceの事件
(v) X, Y and Z v. U.K. 事件

3) 婚姻への権利との関係

   結び


   ヨーロッパ人権条約と性転換者

(1)
   概説 ―プライヴァシーの権利―

 言うまでもなく、プライヴァシーの権利は、自由の中心的概念をなす権利の一つとして発達してきた。生命の保護に対する権利とか肉体的・精神的尊厳性に対する権利などと共に、この権利は人間の「個」としての存在に対する尊重を保護する。人は誰もが、肉体的にも精神的にもそして又法的にも存在する権利を有するのみならず、己れに固有の、個々の性質、容貌、名誉などを尊重される権利を有してもいる。そういう意味ではプライヴァシーの権利は、公的な干渉とか私的な干渉という区別を問わず、他者より何らの干渉を受けることなく平穏に過ごすことのできる権利、ということができよう。しかしまた、人間としての自由は、単にその存在について実現されるだけでは不充分であり、その行動においても実現されることが不可欠である。しかるに人間の行動は、通常他者へ向けられるが故に、常に他者のプライヴァシーへの干渉のおそれを含んでいる。よって、プライヴァシーの権利は、個々人の存在及び行動域が、他者の自由域に抵触しないことを条件とするもの、と定義することができる(1)ように、何らかの制限を当然に内包した権利といえよう。このことは、全ての国際人権文書が、個人のプライヴァシーの権利を規定するに際し何がしかの制限を認めていることからも、明らかといえよう。例えば、世界人権宣言は、個人のプライヴァシーを「恣意的な干渉」から保護している(2)が、この権利はまた、同宣言に認められている全ての他の権利と同じく、社会に対する義務により制限される(3)し、また、民主的社会における道徳や他者の権利を守るために必要な法律による制限に服しもする(4)。それに対し自由権規約は、この権利を宣言と同じように保証し、「恣意的及び不法な干渉」から個人を保護すると規定している(5)が、これはすなわち、法律に基づく不法でない干渉は許されるということを前提としている(6)。またヨーロッパ人権条約は、上記二文書と似た保証を与えている(7)が、この権利の制限として、公共の道徳や他者の権利及び自由を守るために、法律に基づきかつ民主的社会において必要な干渉を、公機関に許している(8)

 さて、ヨーロッパ人権条約においては、「すべての者は、その私生活及び家庭生活、住居並びに通信の尊重を受ける権利を有する」と規定されている(9)。そして、こうした諸権利を一括してプライヴァシーの権利と呼んでいる。もっとも一般的には、プライヴァシーの権利は、その本質は個人の最小限にしか干渉されずに生きる権利というところにある(10)とされ、ここに規定される以外の権利をも含んでいると解されているが。例えば、プライヴァシーの権利の初めての権威ある分析というべき一九七六年のヨーロッパ人権委員会の決定においても、「私生活」の尊重を受ける権利は、いわゆるプライヴァシーの権利すなわち当人の望むかぎり知れ渡ることから護られて生きる権利のみならず、個々の人格特に感情面においての人格の発展と充足のために、他人との関係を樹立し発展させる権利をも含んでいるとされた(11)

 その後、ヨーロッパ人権委員会及び同裁判所は、こうして定義された意味を超えて、人格形成にとり必要であると考えるべき個人の人格の幅広い要素及び出現形態をカヴァーするものへと、「私生活」概念を広げてきている(12)。つまりプライヴァシーの権利は、他人の自由やプライヴァシーの領域に抵触しない個人の存在及び自律の領域を保護するもの、とされているのである。言い換えれば、プライヴァシーの権利は、「個人の存在」という領域における、個人の尊厳性(13)(integrity)、独自性(14)(identity)、私事(intimacy) (私的な特性、行動又はデータを公けになることから守ることを言う) 及び、性の表出(sexuality)(性の自律は、プライヴァシーの領域において、他者との交流の権利に重要な事例を提供している(15)。)、などを保護すると主張されている(16)

 とはいえ既述のように、プライヴァシーの権利は何らかの制限に服する。個人自身が私的生活を公的生活と接触させたり、他の保護すべき利益と密接な関係を有する限りにおいて、プライヴァシーの権利の主張は、自動的に何がしかの減退を余儀なくされるのである(17)。例えば、ヨーロッパ人権条約によると、「法律に基づき、かつ、民主的社会において必要」な場合には、公共の道徳又は他の者の権利及び自由の保護のために、個人のプライヴァシーを制限することが締約国には許されている(18)。そしてここに「必要な」(necessary)とは、公共の道徳や他人の権利・自由を保護するために「差し迫った社会的必要性」に答えるものでなくてはならない。言い換えれば、個人に課せられる義務を凌駕する、その干渉に対する社会の必要性というものが存在しなくてはならない(19)

 しかし、プライヴァシーの権利は一般的に言って、「いわゆる他者(社会を含む)との関係においては制限され得る」といえるが、この権利の享有主体が本稿のような性の自律に関しての少数者である場合においては、制限の具体的な妥当性、正当性を問い直すのみならず、プライヴァシーの概念自体が未だ明確な定義がなされていないことからも、その内容自体も再吟味して行く必要があろう。つまり、性転換者のような少数者のプライヴァシーの権利については、その制限は、こうした権利を認めることにより影響を受ける者たちの保護のために絶対的に必要な場合のみ認め得るのであって、ある性的実行が一般道徳概念と衝突するからといってそれだけで制限を認めることはできまい。こうした場合には、例えばヨーロッパ人権裁判所が、北アイルランドにおける同性愛行為一般を禁じた法律はプライヴァシーの権利を規定した8条違反になるが、少年に関してはそうした禁止は許容される干渉であると判断しているように(20)、一般的にプライヴァシーの制限が許される場合よりもより厳格な基準が求められるべきであろう。

 最後に、締約国の義務について触れておこう。8条は、公機関による恣意的な干渉から個人を保護するという締約国の消極的義務を規定しているのみならず、締約国の積極的義務、特に個人関係においてすら私的生活の尊重を確保する義務を生じさせる(21)。勿論、消極的義務・積極的義務の場合を問わず、一般の利益と当該個人の利益の間には公平な均衡がとられなくてはならないが(22)。とはいえ、ではいかなる積極的義務が締約国に課せられているかについては、現時点においては関連の事実次第であろうとしか言えないのであって(23)、未だ確たる定義を見い出せる段階ではない(24)



著者注
(1)
 M.Nowak, "U. N. Covenant on Civil and Political Rights (1993), p. 288 参照。
(2) 12条
(3) 29条1項
(4) 29条2項
(5) 17条1項
(6) General Comment No. 16, UN Doc.A/43/40, Annex VI (1988) para. 3 参照。又、国内法により干渉が生じた場合は、本項にいう「不法な」干渉ではない (The Mauritian Women case, (規約人権委員会)No. 35/1978, § 9. 2(b)2 (i) 4 参照)。
(7) 8条1項
(8) 8条2項
(9) 8条1項
(10) 1970年ヨーロッパ審議会が出したマス・メディアと人権に関する宣言参照(拙著『国際人権法概論』(信山社、1994)210頁)。
(11) Appl. 6825/74, Decision of 18, May, 1976, D. & R. 5, p. 86
(12) L. G. Loucaides, "Personality and Privacy under the European Convention on Human Rights", LXI, B.Y. I. L. (1990),p.189 参照。
(13) これの侵犯の例としては、強制的な医学検査がある。拙著「国際人権法概論」二一二、二一三頁参照。なお、ヨーロッパ人権委員会及び同裁判所は、私生活概念は、性的生活を含む肉体的及び精神的尊厳性をカヴァーしていると述べている(Appl. 8978/80, Decision of 5, July, 1983, 6, E.H.R. R.p. 311 ; X and Y v. The Netherlands, Judgment of 26, March, 1985, Publication of the European Court of Human Rights, Series A. (以降 A.) 91, Para. 22.)。
(14) これは、名前、容姿、服装、髪形などと共に、思想、信条、宗教などの自由をも含む。又、いわゆる社会的性も含まれると解されている (Nowak, 前述注 (1) p.295参照)。
(15) 例えば、ヨーロッパ人権委員会は、「私的生活の尊重を受ける権利は、個人がその個性の発展及び事実を自由に追求できるような領域を、個人に確保するようなものであるべきである。このためには、個人はまた、他者と性的な関係を含む多様な関係を樹立する可能性を有すべきである。」と述べている(Bruggeman and Scheuten v. Germany, Appl. 6959/75, D. & R. 10 (1978), p. 100)。
(16) Nowak, 前述注(1)pp.294-299 参照。
(17) Loucaides, 前述注(12)p. 179参照。
(18) 八条二項
(19) Dudgeon v. U. K., 4 E.H.R.R.pp.164-165参照。
(20) The Dungeon Case, Judgment of 22, Oct.1981, A. 45.なお同事件人権委員会報告 3, E.H.R.R., p. 40参照。
(21) X and Y v. The Netherlands, A.91 ; 人権規約委員会 General Comment No. 16. para. 1(UN Doc.A/43/40, Annex VT) 参照。
(22) The Caskin Case, A. 160 参照。
(23) 締約国の積極的義務についての問題は、まさに社会及び個人の必要性や資源を考慮し条約の履行を確保するためにとるべき手段について、締約国が広い裁量権をもっている分野のものである (Johnston and Others v. Ireland, Judgment of 18, Dec. 1986, A. 112 参照)。
(24) Loucaides, 前述注(12)p. 181参照。


(2)    性転換者の法的地位

   性指向 sexual orientation に関する法律分野を眺めると,ヨーロッパ人権条約 European Convention on Human Rights においては,米国法(1)を含む大部分の国内法の伝統的扱いよりもずっと手厚く,個人に対する法的保護がなされていると言ってよかろう(2)

   そして,性転換者 transsexuals の権利については今や,性転換手術 sex reassignment surgery (3)の結果生じた性による法律上の地位の変更を国家当局が認めないことは,性転換者の私生活の尊重を受ける権利 right to respect for his (her) private life に対する干渉 interference ではないかという点が,ヨーロッパ人権条約上争点となっている。なお,ヨーロッパ審議会 Council of Europe における議員会議 Parliamentary Assembly は,性転換は各国が人権を尊重し答えを見い出すべき比較的新しくかつ複雑な問題を引き起こしている点を指摘し,未だ特別の規則が存在しないために性転換者が私生活における差別と侵害の犠牲者となっていることを認め,

(a) 出生登録及び身分証明書における,当該個人の性についての言及は訂正されるべきであること。
      the reference to the sex of the person concerned is to be rectified in the register of births and in the identity papers

(b) 「名」の変更は認められるべきであること。
      a change of forename is to be authorised

(c) 当該個人の私生活は護られなくてはならないこと。
      the person's private life is to be protected

(d) 基本的人権の享受における全ての差別は,ヨーロッパ人権条約14条(非差別条項)に従って禁止されること。
      all discrimination in the enjoyment of fundamental rights and freedoms is prohibited in accordance with Article 14 of the European Convention on Human Rights

という四点につき,閣僚委員会 Committee of Ministers は加盟国に対し立法措置をとるよう勧告を行うことを求めた決議を採択している(4)(5)

   要するに,性転換手術後の性転換者の新しい地位を認めることを拒否する締約国は私生活を尊重することに失敗しているという点,及び,性は人間の人格の重要な要素の一つであるという点については,(旧)ヨーロッパ人権委員会 (former) European Commission of Human Rights 及び同裁判所 European Court of Human Rights に共通の認識が今や樹立されているといってよかろう。争点は,締約国の裁量権 margin of appreciation との関係で具体的に締約国はどこまで性転換者の人権を認めるかということにすぎない,と断言しても間違いとは言えまい。

   では以下において,具体的事例において,性転換者からの姓名等の変更請求に対しヨーロッパ人権委員会及び同裁判所は,いかなる判断を行っているかを見ていくこととしよう(6)


著者注
(1)
例えば,反自然的性交罪を支持したものとして,Bowers v. Hardwick, 478 U.S. 186 (1986)
(2) 例えば,ヨーロッパ人権委員会及び同裁判所は共に,同性愛者の権利を,私的かつ同意に基づく成年者の同性愛行為に限定して認めている※とはいえ,ヨーロッパ人権条約8条におけるプライヴァシーの権利を,同裁判所は繰り返し,私的かつ同意ある同性愛活動に加わる成人の権利へと広げて解釈してきている※※。
※例えば,軍隊における同性愛の禁止を支持したものとして,B v. U.K., Appl. 9237/81, 34 D. & R. p68 (1983).
※※ 例えば,Dudgeon v. U.K., A. 45 (1981)
(3) 性転換手術の実態については,バーバラ・カンプラート,ワルトラウト・シッフェルス編著〔近藤聡子訳〕『偽りの肉体―性転換のすべて』(信山社,1998年)が詳しい。
(4) Recommendation 1117 (1989), 29 Sep. 1989
(5) なお,性転換者であるとか性転換手術を行ったとして解雇することは,雇用に際し男女同等の扱いの原則の適用を求めているヨーロッパ共同体指令(Directive)※にいう性による差別を構成する(P. v. S. and Cornwall County Council Case, c-13/94 European Court of Justice, 1996 E. C. R. 1-2143.)
Art. 3 of Directive 76/207/E. E. C. (1996)
(6) なお,拙稿「私生活の尊重を受ける権利(ヨーロッパ人権条約8条)と性転換者」国際人権5号(1994)84頁以下参照。


(3)    婚姻への権利との関係  


 以上見てきたように、ヨーロッパ人権条約8条のプライヴァシーの規定は、事実上の私生活及び家族生活の保護を目的としている。それに対し婚姻への権利は、同条約12条で「婚姻をすることができる年令の男女は、権利の行使を規制する国内法に従って、婚姻をしかつ家族を形成する権利を有する」と規定していることからも、相対する両性が形式的かつ法的に認知された結合によって婚姻する権利を保護する、という本質的な違いがあるとみるべきである(1)。つまり同条約12条が保証する婚姻への権利は、生物学的に相対する性を持つ人の間における伝統的な結婚について言及しているのである(2)。そしてこの権利の行使は、各締約国の国内法に大部分が任されているといってよい。但し、国内法で完全に婚姻への権利を奪うことは許されないことは言うまでもないが(3)

 言い換えれば、誰が誰と結婚できるかを決める基準として生物学的な性を用いることは、国家の裁量権の範囲の問題であり、各締約国に許されている(4)(5)。もっとも、ヨーロッパではかなりの数の国が、婚姻を目的とした場合ですら性転換を認めてきているが(6)

 なお、性転換者の婚姻への権利と密接な関係をもつものとして、同性間の婚姻がある。言うまでもなく性転換者の婚姻は、もし生物学的基準に従って判断するならば、ほとんどの場合同性間の婚姻と言い直すことができよう。しかるに、同性間つまり単一性カップルの結婚をもって全面的に法律上の婚姻を認めた国はまだない(7)。(引用者注・オランダは2001年4月から同性婚を完全合法化した。)もっとも、例えばデンマークやノルウェーのように、同一性カップルが法律上、伝統的異性間婚姻とほぼ同じ法的関係に入ることを認めた国もある(8)(9)。とはいえ、婚姻は本質的に異性間の制度であるから、やはりこうした登録関係の性質はあくまでも「結婚」ではなく、制度上の結婚が支えられる法律上の結果と同じ結果をもつ関係にすぎない(10)というべきであろうが。

 言い換えれば、婚姻については、現時点ではこれが歴史に裏付けられたきわめて社会的な制度であることから、同性間の婚姻や、性転換者の転換後の婚姻を認めるか否かは、あくまでも各国家の裁量に任されているのである。よって、多くの国がこうした人同士の婚姻を認める方向へ進むならば、こうした婚姻制度自体の存在理由が問い直されることとなろう。



著者注
(1) The Cossey Case, Judgment, of 27, Sep. 1986 13 E. H. R. R., p. 634 参照。
(2) The Rees Case, Judgment, A. 1O6, para. 49 参照。
(3) The Van Oosterwijck Case, B. 36, para. 56 参照。
(4) The Cossey Case, Judgment, A. l84, para. 46 参照。
(5) 例えば、イギリスの裁判所は、性転換手術は当該個人の 「真の」法律上の性を変えないとして、男性からの性転換妻と女装夫間の婚姻を無効とした (Corbett V Corbett,[1970]2 W.L.R.1306,2All E.R.33 (P.D.A.))。
(6) 例えば、イタリア、オランダ、スペイン、デンマーク、ドイツ、トルコ、フィンランド、ルタセンプルグにおいては、立法化されていると指摘されている (The Cossey Case, 13 E.H.R.R., p.622 の少数意見参照)。
(7) 例えば、米国における統一基準として 「結婚」 の定義を初めて行った婚姻防禦法 (The Defense of Marriage Act) は、一人の男性と一人の女性の結合を結婚の定義として成文化し、同性間の関係を結婚として扱うことを無効とした (28 U. S. C.§ 1378 C(1996))。
(8) 同性同士が公式に登録することを認め、これによりカップルは婚姻により得られる法的効果と同じ役割(例えば、扶養、税金、保険、移民問題等について)を与えられるし、又、重婚罪と同じ罪を負う(Registered Partnership Act, デンマーク (Act No. 372, 1989), ノルウェイ(1993))。
(9)例外としては,子供を養子にできないことが挙げられている(例えば,Pederson,“Denmark:Homosexual Marriages and New Rules Regarding Separation and Divorce”30J.Fam.L.(1991),p,289 参照。
(10) K.M.Norrie,“Reproductive technology,transsexualism and homosexuality:New Problems for International Private Law”,43,Int’1&Comp.L. Q.(1994),p.770 参照)。


   結び

   以上見てきたように,ヨーロッパ(旧)人権委員会 (former) European Commission of Human Rights ・同裁判所 European Court of Human Rights は,性転換者 transsexuals の人権を,私生活の尊重を受ける権利 right to respect for his (her) private life (いわゆるプライヴァシーの権利 right to privacy )として認めている。そして今や,性転換を行う権利そのものは,当然に認められるものとされ,例えば多くのヨーロッパ諸国(英国,イタリア,スペイン等)においては国民健康保険の適用が,性転換手術に認められている。

   勿論ヨーロッパにおいても,性転換手術は治療行為の一つとして行われているのであり,性転換を必要とするか否かの判断については専門家による厳格なチェックが求められている。しかしヨーロッパでは,治療行為を必要とする理由として個人の人格の尊重が大きな位置を占めているのであり,人間としての尊厳性の確保に不可欠のものとして,性転換は受けとめられているのである。言い換えれば,個々人の人格の問題として性の転換を把え,肉体的性と精神的性の一致を必要とする人々の,人らしく生きていくための権利として位置付けているのである。

   ヨーロッパ人権裁判所の判決にも,例えば性転換の生物学的な外見上のいわば肉体的な性転換にのみ着目し,精神的な側面には目をつぶっている点や,いかなるレベルの性転換をもって性転換者としての権利を享受し得るかといった点などにおいて,これからの問題点を幾つも見つけることができる。しかし,性転換の問題を個人の人格形成の問題として位置づけ,プライヴァシーの権利の問題と認めたことにより,裁判所及び委員会が,少数者の人権として性転換者の市民法的地位を肯定したことは重要な意味をもつ。

   そもそも少数者としての性転換者の人権は,代替措置により満たされることのない権利というべきであるから,当該個人の幸せの追求のための一手段として性転換が必要であるならば,基本的には認めるべきであり,他人の利益言い換えれば多数者の利益に基づいた制度維持等の利益の保護を理由とした少数者の人権の制限は,慎重であるべきである。

   勿論,人権に付け加えられる新しい権利は社会状況が必要とする場合にのみ出現するのであり,ここで見てきたような権利が新しく保護されるべき人権となるか否かは,まさに時間の経過と法的保護の必要性を認める社会次第である。しかし,人は皆幸福な人生を送る権利を有しているのであり,性転換を必要とする人々も,人間として自分の欲する人生を送る権利がある。それ故,多数者の価値観に基づいた社会の利益と少数者の利益という,いわば人権における利益衡量の問題として,わが国においても性転換者の法的扱いを論じて行くべきであろう。


参考条文

ヨーロッパ人権条約第8条(私生活及び家族生活が尊重される権利)1 すべての者は、その私生活、家族生活、住居及び通信の尊重を受ける権利を有する。
2 この権利の行使に対しては、法律に基づき、かつ、国の安全、公共の安全もしくは国の経済的福利のため、無秩序もしくは犯罪の防止のため、健康もしくは道徳の保護のため、または他の者の権利及び自由の保護のため民主的社会において必要なもの以外のいかなる公の機関による干渉もあってはならない。

第12条(婚姻の権利)婚姻をすることができる年齢の男女は、権利の行使を規制する国内法に従って、婚姻しかつ家族を作る権利を有する。

第14条(差別の禁止)この条約に定める権利及び自由の享有は、性、人種、皮膚の色、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的もしくは社会的出身、国内少数者集団への所属、財産、出生または他の地位等いかなる理由による差別もなしに、保障される。

European Convention on Human Rights Article 8 (Right to respect for private and family life)
1. Everyone has the right to respect for his private and family life, his home and his correspondence.
2. There shall be no interference by a public authority with the exercise of this right except such as is in accordance with the law and is necessary in a democratic society in the interests of national security, public safety or the economic well-being of the country, for the prevention of disorder or crime, for the protection of health or morals, or for the protection of the rights and freedoms of others.

Article 12 (Right to marry)
Men and women of marriageable age have the right to marry and to found a family, according to the national laws governing the exercise of this right.

Article 14 (Prohibition of discrimination)
The enjoyment of the rights and freedoms set forth in this Convention shall be secured without discrimination on any ground such as sex, race, colour, language, religion, political or other opinion, national or social origin, association with a national minority, property, birth or other status.



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