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(西暦は引用者)

戸籍訂正許可申立事件(水戸家庭裁判所土浦支部 平11(家)23号 平11(1999)年7月22日審判 許可(確定))

出生時に外陰部に異常があり女性として出生届がされた申立人について、その性染色体及び生殖腺の状態並びに男性としての性別自認等からすれば、申立人は男性であるとして、戸籍筆頭者との続柄欄の「長女」を「長男」とする戸籍訂正を許可した事例

家庭裁判月報51巻12号40頁(から43頁)

石原明・大島俊之編著「性同一性障害と法律」192頁(晃洋書房・2001年)

last edited 2001/04/27

uploaded 2001/04/03


裁判事項
    出生時に外陰部に異常があり女性として出生届がされた申立人について、その性染色体及び生殖腺の状態並びに男性としての性別自認等からすれば、申立人は男性であるとして、戸籍筆頭者との続柄欄の「長女」を「長男」とする戸籍訂正を許可した事例
〔参照条文〕戸籍法113条 (戸籍の記載が法律上許されないものであること又はその記載に錯誤若しくは遺漏があることを発見した場合には、利害関係人は、家庭裁判所の許可を得て、戸籍の訂正を申請することができる。-引用者挿入)

〔申立人〕須藤博美

主文

    本籍茨城県○○郡○○町大字○○×××番地筆頭者須藤和良の戸籍中、博美の続柄欄に「長女」とあるのを「長男」と訂正することを許可する。

理由

第1     本件申立の要旨
    1     申立人は、昭和46(1971)年6月4日須藤和良、須藤栄子夫婦間の「長女」として出生届がなされた。申立人は、出生当初から男性とわかっていたが、外陰部に異常があり、精巣が外に出ておらず中に入っていたため、両親が医師と相談した結果女性として育てた方がよいということになり、女性として出生届をした。
    2     申立人は3歳の頃に開腹手術をし、左方の睾丸を摘出しているが、成長するに従い体質的に男性であることがはっきりするようになり、周囲から女性として扱われて生活するのが段々苦痛になってきた。
    3     申立人は自分の性に悩み、24歳頃、3歳時に手術を受けたことのある甲病院に行き、同病院の○○医師から、申立人は男の身体をしているが、男性としての機能が果たせないから、女性のままで生きた方がよいのではないかと言われた。しかし、申立人は好きな女性ができ、女性のままでは生きていけないと考え、再び○○医師に相談したところ、同医師からも本件申立につき指導された。よって、主文同旨の審判を求める。

第2     当裁判所の判断
    本件記録及び家庭裁判所調査官の調査結果を総合すると次の事実が認められる。
    1     申立人は、昭和46(1971)年6月4日乙病院において須藤和良及び須藤栄子夫婦の第一子として出生した。申立人は、出生当初から男性ではあったが、外陰部に異常があり精巣が外に出ておらず内に入っていたため、両親は医師と相談した結果、申立人を女性として育てた方がよいということになり、戸籍上、「長女」として出生届をした。
    2     申立人は、昭和51(1976)年4月から幼稚園に入園したが、物心がついたころから母から女らしくするように言われており、男の子の遊びをすると叱られるので、いつも女の子と遊ぶようになっていた。昭和53(1978)年4月に小学校に入学したが、成長するにつれて体質は男性で高学年になると声は低くなり、女友達が生理の話をしているのを聞いても、自分には生理が一切ないので関係のない話だと思っていた。昭和59(1984)年4月には中学校に入学したが、周囲の女子生徒に合わせて女性として生活していた。男子生徒のことは全く気にはならなかったが、女子生徒を可愛いと思ったり、夢の中に時々裸の女性が出てきたりしていた。申立人は何故成長した女性になれないのかと思っていた。昭和62(1987)年4月高校に入学し、同じクラスに好きな女の子ができたが、自分には肉体的な限界があり、相手に自分の気持ちを伝えることはできなかった。男子生徒からも交際を求められたが、はっきりした返答ができず、曖昧なことを言って断ったりした。申立人は自動車デザインが好きで平成元(1989)年4月にデザインの専門学校に進学した。ここの専門学校は男子ばかりで女子は申立人1人のみで特別扱いされ馴染めず平成2(1990)年夏に中退し、その後、申立人は1年位家に篭もる生活をしていたが、平成4(1992)年5月から○○のルート販売の会社に就職し、現在も稼動中である。○○のルート販売をし、小売店を回っていると行く先々で男か女かと質問され、相談に乗ってくれた人が病院に行くことを勧めるので、申立人も1人で悩んでいても解決しないと思い思い切って、平成4(1992)年5月頃丙病院産婦人科に出かけて受診した。受診の結果は性染色体はXYであり、睾丸が残っているので男性であるが、この睾丸はほっておくと腫瘍の恐れがあるので摘出した方がよいと言われた。
    3     平成8(1996)年5月頃、申立人は、甲病院の○○医師のところに赴き面接した。同医師からは申立人は男性の身体をしているが、このまま女性として生活していった方がよいと言われた。この頃、申立人には好きな女性ができ、相手の女性も申立人に好意を抱いていたが申立人の立場は、戸籍上は女であるし普通の男性の身体ではないので、明確な態度がとれず、相手の女性からの交際の申し出を受け入れることができなかった。申立人は自分を男性として見てくれる人がいたこと、将来、申立人に好きな人が現れるかも知れないと思い戸籍の上だけでも男になりたく本件申立をした。
    4     申立人の病名は、男性半陰陽であり、申立人の性染色体は46XYであり、生殖腺の分化形成から見た外見(表現型)は女性であるが申立人の本来の性は男性である。睾丸の働きだし(4週間位の間に形成される)が遅れたため、出生時、外陰部異常が見られたものである。申立人は出生当時、両側に精巣を有していたが生後11か月時の診断で男性半陰陽が分かった。手術のための麻酔が使えるようになるのを待って、3歳時に左側睾丸の除睾術と外陰形成が施された。除睾術はホルモンのバランスをとるため睾丸の右側を残し思春期に入り男性化が起こる時期(6か月間が適期)にその右側の除睾術を施すことになるが、申立人はその除睾術を行っていない。また、この間性別自認の社会適応を図る必要があったが、申立人は通院等はなくフォローがなされなかった。触診等で見た申立人の残りの精巣は発育が悪かったため、同医師は申立人が来院した平成8(1996)年5月頃、申立人は女性として生きていく方がよいのではないかと話をした。しかし申立人の性別自認は一貫して男性であり、同医師と申立人の面接においても申立人は男性か女性かについての揺らぎは今後もみられることはないと思われたので、同医師は申立人を男性とするため今回の戸籍訂正申立を指導した。申立人は今後の性器の手術等により、男性としての性行動は可能であろうと思われ性的快感も得られるであろうが射精は出来ず、精子は作れないので女性を妊娠させる能力(妊孕性)はない。

第3     結論
    以上の認定事実によると、申立人の性染色体は46XYであり、診断書による病名は男性半陰陽であり、本来の性は男性であること、睾丸の働きが遅れたため出生時外陰部異常がみられ3歳時に左側の除睾術と外陰形成を施されたが、思春期に右側の除睾術は施されておらず、申立人の性別自認は一貫して男性であり、男性か女性かについての揺らぎは今後もみられることはなく、妊孕性はないものの性器の手術等により、男性としての性行動が可能であることが認められる。そうすると、申立人が女性であることを前提とする戸籍の記載は真実に反するものというべきであるから、戸籍法113条により主文のとおり審判する。(家事審判官 日野忠和)

〔編注〕事件関係人の人名は仮名にした。

 


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