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君塚正臣(きみづか・まさおみ)関西大学助教授
憲法判例百選T(第四版)34事件(有斐閣刊「別冊ジュリスト 第154号」・2000年)70-71頁
同性愛者に対する公共施設宿泊拒否―東京都青年の家事件
東京高等裁判所判決平成9(1997)年9月16日
(平成6(1994)年(ネ)第1580号損害賠償請求控訴事件)
(判例タイムズ986号206頁,判例地方自治175号64頁)
last edited 2002/03/28 (太字,下線は引用者)
<事実の概要>
団体Xに所属する18名が、東京都が設置・管理する府中青年の家に宿泊した。XのうちAとBは恒例のリーダー会に出席し、Xが「同性愛者の団体であり、同性愛者の人権を考えるための活動をしている」ことを説明した。同席の同泊3団体の代表から質問等はなかった。
ところが、Xのメンバー2名が入浴中に少年サッカークラブの小学生数名に浴室を覗かれて笑われ、朝食時には「ホモ」「オカマ」と言われたほか、青年キリスト教団体のメンバーからも同様のことを言われた。臨時のリーダー会において、既に帰った少年サッ力ークラブ以外の2団体は右言動があったことを否定し、また青年キリスト教団体のリーダーは旧約聖書の一節を引用して同性愛は許されないことを力説した。Bらはこれらの発言に賛同せず、同席した都職員である係長の態度にも強い不満を抱いた。
Xの会員Cは新たな宿泊予約を行い、家側も宿泊室・研修室を用意した。同家の所長はXとの話合いの席を設けたが、他団体との不要な摩擦の危険性等を理由に本件使用申込みを受理しなかった。そこでXは都教育委員会宛に、本件使用申込みの承認などを求める請願書と要求書を提出した。同委員会は審議の結果、Xの使用を承認しない旨の決定をするとともに、本件使用申込みについても、都青年の家条例8条の1号「秩序をみだすおそれがあると認めたとき」、2号「管理上支障があると認めたとき」に当たるとしてこれを承認しなかった(都教育長は、青年の家ではいかなる場合でも男女同室は認めておらず、同様に複数の同性愛者が同室に宿泊することも認められない旨のコメントを出した)。
このためXは、同委員会の不承認処分は違法であるとして、代替宿泊施設の宿泊費・食費等との差額、非財産的損害額の請求などを、またAら3名は、都職員の発言により精神的苦痛を受けたとして慰謝料の請求などを求めて訴え出た。一審(東京地判平成6・3・30判時1509号80頁)は、所長の利用申込書の受理拒否を違法と判断した上で、都教育委員会がXらの性的行為の具体的可能性の有無を当初から問題にしておらず、その可能性が具体的にあったと認めるに足る証拠がないなどとして、Xの請求の一部を認容した(Aら三名の請求は棄却された)ため、都は敗訴部分につき控訴した。
<判旨>
原判決を一部変更(一審が認めた非財産的損害賠償請求については、「余分な労力を余儀なくされたことによる労苦、迷惑といった非財産的損害(無形の損害)は、社会観念上金銭をもって賠償させることが必要な程のものとは認められない」として、財産的損害賠償請求等のみ認容)。
(一) 青年の家での宿泊は「原則として数名の宿泊者の相部屋であると考えられる。そうすると、特定の2人による宿泊に比べ、性的行為が行われる可能性は、同性愛者においても、異性愛者同様に、それほど高いものとは認めがたい」。
「元来は異性愛者を前提とした」男女別室宿泊の「原則を、同性愛者にも機械的に適用し、結果的にその宿泊利用を一切拒否する事態を招来することは、右原則が身体障害者の利用などの際、やむを得ない場合にはその例外を認めていることと比較しても、著しく不合理であって、同性愛者の利用権を不当に制限するものといわざるを得ない」。
(二) 「青少年に対しても、ある程度の説明をすれば、同性愛について理解することが困難であるとはいえないのであり、青年の家においても、リーダー会を実施するかどうか、実施する場合にはどのように運営するかについて、青年の家職員が相応の注意を払えば、同性愛者の宿泊についても、管理上の支障を生じることなく十分対応できるものと考えられる」。もしなお問題があれば、「後に使用申込をした団体の申込を都青年の家条例8条に基づき拒否することも場合によっては可能と考えられる」。
(三) 「都教育委員会が、青年の家利用の承認不承認にあたって男女別室宿泊の原則を考慮することは相当であるとしても、右は、異性愛者を前提とする社会的慣習であり、同性愛者の使用申込に対しては、同性愛者の特殊性、すなわち右原則をそのまま適用した場合の重大な不利益に十分配慮すべきであるのに、一般的に性的行為に及ぶ可能性があることのみを重視して、同性愛者の宿泊利用を一切拒否したものであって、その際には、一定の条件を付するなどして、より制限的でない方法により、同性愛者の利用権との調整を図ろうと検討した形跡も窺えないのである。したがって、都教育委員会の本件不承認処分は、青年の家が青少年の教育施設であることを考慮しても、同性愛者の利用権を不当に制限し、結果的、実質的に不当な差別的取扱いをしたものであり、施設利用の承認不承認を判断する際に、その裁量権の範囲を逸脱したものであって、地方自治法244条2項、都青年の家条例8条の解釈適用を誤った違法なものというべきである。」
<解説>
一 中立的法規の差別的効果
合理的な法規を平等適用することが、特定の人々に不平等的な効果を生むことがある(君塚正臣「何が『性』『差別』か?」文明77号39頁(1997年)など参照)。だが一般的には、それだけをもって平等権侵害とは言えない。本件条例の、青年の家の男女別室宿泊の原則には一定の合理性があろう。判決は相部屋で性的行為が行われる可能性はそもそも低いと認定してはいるが、これをもって条例自体を違憲無効とは言えないと思われる。だが差別的効果が特定の人種や性別等に集中的に生じるとき、平等権違反の問題とならないかは、今後論点となり得よう。
しかし本件は典型的な法規中立適用の事例ではない。条例の文言どおりの適用ではなく、目的的解釈を行って同性愛者の同泊を認めなかった例だからである。そこには都側の同性愛者に対する差別的意図がなかったと言えるか、疑わしい。
二 憲法14条列挙事由と同性愛者
本件が地方公共団体による同性愛者差別だとすれば,それに対して憲法はどう考えているのだろうか。日本国憲法14条違反について,従来の通説は一切の差別事例をいわゆる「合理性」の基準で判断してきたが(宮沢俊義・憲法U〔新版〕268頁以下(1971年)など。ただし宮沢も「人種」以下を「不合理な差別」の節で紹介している),近時のほとんどの学説は,14条1項列挙事由による差別については審査基準を高めることと立証責任転換を提唱している(熊田道彦・憲法判例百選T31事件(2000年)解説参照)。論点は,列挙事由に原則として厳格審査を及ぼす(戸松秀典・平等原則と司法審査325頁(1990年),佐藤幸治・憲法〔第三版〕477頁(1995年),君塚正臣・性差別司法審査基準論119頁以下(1996年)など)か,それを原則としつつ「性別」だけは中間的審査(厳格な合理性の基準)の対象とする(阪本昌成・憲法理論U273頁以下(1993年))か,「性別」のほか「社会的身分」にも中間審査が妥当すると考える(芦部信喜・憲法学V30頁(1998年)かに移っていると言えよう(積極的差別是正につき基準を緩める説あり。また最高裁は従来の通説のまま)。
では「同性愛者」は憲法14条1項列挙事由に該当するだろうか。ここで最も論点となるのはそれが「社会的身分」と言えるかであろうと思われる(このほか直系尊属は憲法判例百選T30事件〔赤坂正浩〕,非嫡出子は憲法判例百選T31事件〔熊田道彦〕,夫婦老齢者は憲法判例百選U138事件〔久保田穣〕,障害者は憲法判例百選U139事件〔戸松秀典〕参照)。
「社会的身分」を広義に「人が社会生活において占める」「ある程度の継続性を有する地位」(佐藤功・日本国憲法概説〔全訂第五版〕180頁(1996年)とする説や,「人が社会において一時的ではなく占めている地位で,自分の力ではそれから脱却できず,それについて事実上ある種の社会的評価が伴っているもの」(覚道豊治・憲法〔改訂版〕236頁(1973年)。芦部信喜・憲法学V49頁もほぼ同旨)とする中間説もあるが,もし列挙事由に厳格度の高い審査基準を「人種」などと並んで用いるべきだとすれば,狭義に「出生によって決定される社会的な地位または身分」(宮沢俊義・憲法U〔新版〕284頁)などとすべきであろう。「門地」との区別が曖昧となるなどの批判もあろうが,列挙事由はより一貫して先天的・生来のもの,あるいは本人の努力や能力とは無縁のものと解することに傾斜せざるを得ないからである。
同性愛者については,これまでの研究から,選択的な性的趣向の問題ではなく,より生来的な問題であるということが判明してきた。少数者であり偏見にも晒されている。だとすればこれを「社会的身分」と解し,この種の差別事例には厳格審査を及ぼすことも考えられよう。本件の場合,仮に青年の家における性的行為の防止がやむにやまれぬ(中間審査では,重要な)立法目的だったとしても,宿泊拒否が必要最小限の(中間審査では,当該目的と実質的関連性のある)手段であるとはまず言い難い。規則の目的を説明し,その遵守を誓約させること,違反が立証されれば罰則や違約金を科し,当事者の以後の利用を断るなどで十分だと考えられるからである。判決が「より制限的でない方法」を求めたことには,行政当局に一般国民以上の「肌理の細かい配慮」等を求めた点などとともに,このような学説の流れに配慮した形跡が窺える。
また,寝室は私的領域のため,完全な監視は不可能であり,非公然の性的行為を禁じる規程はそもそも紳士協定とならざるを得ない性質を当初から内包している。そうなると,同性愛者には秘密裡にできる青年の家での性的行為が,異性愛者にはできないが故に逆差別であるとの反論も予想できる。しかしこの反論はまず脱法的主張であり,条例が一般的な異性間性行為の禁止規程でもない点や,行政が同性愛者の利用を想定した規程等の用意がない条例を,文言を曲げて少数者に不利に解釈したことへの疑問と比較すれば,斥けられるように思える。
なお本件事例を「性別」による差別と考える余地はないか,同性婚(24条の問題か)のケースも含めて考えられたい。
三 集会の自由等の問題として
判決が,公的営造物利用に関する利害調整にあたり,所長が発したとされる「他団体との不要な摩擦」や「今日の日本国民(都民)のコンセンサス」を基準にしなかったことは重要である。これらが基準になれば,少数者の人権や少数意見を主張する自由は結局認められないに等しいからである(青年キリスト教団体リーダーの発言は示唆的である)。本件でも混乱を防ぐ目的としては、リーダー会での自己紹介中止要請程度が、Xの権利制限の限度であろう。この点、集会反対者による混乱を理由に会館の使用を不許可とした市の決定を違法とした、上尾市福祉会館事件最判(最判平成8・3・15民集50巻3号549頁)は、集会参加者自身の危険を認定した事例(本書T86事件〔川岸令和〕)とは区別した上で参考にできよう。権利妨害者を利する結果は不正義であるし、公的営造物は設置された以上、公平な利用に供されるべきだからである(ただし、会館設置日的に抗する集会、例えば好戦的集会にも「平和会館」を供せねばならないか等は論争となろう)。本判決でも、地方自治法244条2項は地方公共団体に広汎な裁量を許したとは解されておらず、「特別な公法関係」の理論はもはや残滓すらないのである。
ただし、特定の主張を外部に表現することを目的としていない本件のような宿泊は憲法21条の保護範囲には入らないとも考えられ、むしろ13条の幸福追求権の一部としての人的交流の自由やプライバシー権、旅行の自由(22条からも生じるか)の問題として論じられるべきなのかもしれない。
<参考文献>
本件評釈には清野幾久子・判例セレクト'97(法教210号別冊付録)4頁が、一審の評釈に棟居快行・判自160号20頁がある。
ほか、本文中引用以外では、米沢広一「平等原則」阿部照哉=松井幸夫編・HAND
BOOK憲法70頁(1990年)、上村貞美「人権としての性的自由をめぐる諸問題(2〜4)」香川法学10巻1号1頁(1990年)、2巻1号1頁(1991年)、13号1巻1頁(1993年)、内野正幸・人権のオモテとウラ151頁(1992年)、井上輝子ほか編・日本のフェミニズム6−セクシャリティ83頁以下(1995年)、同別冊−男性学237頁以下(1995年)、赤坂正浩ほか・基本的人権の事件簿26頁(1997年)、君塚正臣「米判批」アメリカ法[1998−1]94頁、大村敦志・消費者・家族と法85頁(1999年)、大島俊之「性同一性障害の法律問題」神戸学院法学29巻1号73頁(1999年)などがある。
参考条文
日本国憲法第14条第1項
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
日本国憲法第24条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。