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ワーキングウーマン――均等法20年女と社会はどう変わった (日本経済:全3+1回 2005/06/06〜08,21夕刊生活面)


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会社も酒場も私の居場所
消費パワーで席巻、人生の選択肢も広がる


 男女雇用機会均等法の成立から二十年。女性の生き方は大きく変わった。管理職を目指す女性も珍しくなくなり、彼女たちのパワーは男性中心の社会に変革を迫った。一方で、急な変化についていけないひずみも生まれている。均等法が女性と社会に及ぼした影響を三回に分けて検証する。

 入り組んだ路地裏に並ぶいくつもの赤ちょうちん。多くのスーツ姿の男性客に交じり、仕事帰りの女性たちが次々と暖簾(のれん)をくぐる。かつての「サラリーマンの聖地」、東京都港区新橋の飲食店街で女性の姿は今や珍しくない。

 後輩の女性四人と立ち飲みの居酒屋に来ていた四十代の団体職員の女性は「女性だけで新橋で飲むのに違和感はない」という。銀座には一人でふらりと飲みに出かける行きつけもあるとか。「二十年前は喫茶店に一人で入るのにもびくびくしてたのだけど」と笑った。

◆  ◇  ◆

 新橋地区で商店街連合会の会長を務める長尾武次さん(71)はきっぱりと言う。「古くからの常連客の中には、女性が来ると雰囲気が崩れるという人もいるだろうが、これからは『オヤジの街』ではなく『(女性や若者も含めた)会社員の街』を目指す」。団塊の世代が一斉に退職し始める「二〇〇七年問題」も目前。生き残るためにも、商店街側は女性の進出を歓迎する。

 「聖地」のシンボルともいえる新橋駅西口のSL広場もイルミネーションに工夫を凝らすなど改修中だ。「これで女性はもっと来やすくなるはず」。長尾さんらのもくろみだ。

 ただ、残された男たちの心境は複雑なよう。二十五年来、新橋に通う会社員の男性(51)は、女性の社会進出には理解を示しながらも「店が女性に占領されたら来づらくなっちゃう。酒場ぐらい男にとっておいてくれよ」とつぶやいた。

 女性の消費パワーは歴史を背負った「老舗」をも動かす。

 「時代に合わせていたら、いつの間にか女性のお客様が増えていたのです」。長野県松本市の山あいにたたずむ扉温泉で、昭和六年(一九三一年)創業の老舗旅館「明神館」の女将、斉藤百代さんはこう話す。

 五色から選べるつむぎの浴衣、アロマテラピー、エステが二割引きになるレディースプラン――。こうしたサービスの充実から雑誌にも取り上げられ、若い女性の予約がひきもきらない。宿泊客のほとんどが女性で、男性は数人ということもあるという。

 男社会の象徴のような料亭でも、約八十年前に創業し、数々の政財界の要人が通った新橋の「花蝶(かちょう)」が、女性も入りやすいレストランとして昨年リニューアルオープン。現在は女性客が八割を占めるという。女性向けの分譲マンションや女性専用住宅ローン、ゴルフ場や競馬場のレディースデー……。どの業界も新たな購買層として女性を呼び込もうと躍起だ。

 専業主婦、独身キャリアウーマン、ワーキングマザー――。社会に出る女性が増えたことで「どんな人生を歩むか」というライフスタイルの多様化も進む。いつ産み、育てるか。こんな基本的な営みも人それぞれ、マイペースだ。

 均等法が成立した八五年に大学を卒業、客室乗務員として働くA子さん(42)は二年前に母親になったばかり。晩産だったのは「たまたま相性のいい人にめぐりあったのが遅かったから」だ。

 温泉に流行のレストラン、エステサロン。三十代前半までは、まだ「遊びたい」という気分があった。が、今は「したかったことをやり尽くしたから、子ども中心の生活が楽しい」という。

 「体力的にはもう少し早く産めればよかったけど、じっくり相手を選べてよかった」。こう語りながら、元気に走り回る長男の姿に目を細めた。

 一方、同世代のB子さん(44)はすでに二歳の孫をもつ「おばあちゃん」だ。「自分の子育ては無我夢中だったが、孫の世話の手伝いは余裕を持てて楽しめる」と話す。

 一緒に歩いていて「お子さんですか」と聞かれると複雑な心境になるが、「保育園のお迎えなどは若いうちのほうが楽でいい」と満足そうだ。

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 押しつけでなく自分らしい生き方を選ぶ――。社会に進出しやすい環境が整い始め、こんなしなやかな生き方の女性が増えているようにみえる。

 ただ、女性の生き方について数々の著作がある作家の遥洋子さんは「選択肢があるだけに、納得のいく人生を送れるよう若いうちから長期的な視野で将来を考える必要があるし、周囲の価値観にまどわされない目も養わなければいけない」と指摘する。「均等法で社会への小さな窓が開いた。だが、子育てや介護など大きな荷物を背負って窓際にもたどり着けない女性も多い。今後も制度を整えるなど窓枠を広げる努力が必要」と話した。

 働く女性の賃金はこの二十年、少しずつだが着実に上昇してきた。厚生労働省の調査によると、女性の賃金は二〇〇四年は平均で二十二万五千六百円。均等法が成立した一九八五年の一・五倍以上に増えている。

 男性の賃金に対する割合も〇四年は六七・六%と八五年に比べ八ポイントアップ。まだ格差はあるが、その距離は縮まりつつある。

 社会進出で購買力が高まった女性は、個人消費の主役に躍り出た。特に独身で、可処分所得の高い人が多い二十―三十四歳の女性はマーケティングの世界で「F1層」と呼ばれ、各企業が取り込みに力を入れる。

 実際、総務省の家計調査によると、三十四歳以下で働く単身世帯女性の可処分所得は約二十三万五千円と、男性の八五・九%にまで迫っている。女性が流行を作り消費を引っ張る、という構図は今後も続きそうだ。

【図・写真】「オヤジの街」新橋にも女性の姿が増えて久しい(東京都港区)


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男も家事、当たり前に
夫婦力学が多様化
晩婚・非婚進めた側面も


 女性が男性と互角に働けるようになり、家庭の夫婦力学も様変わりした。外で働くだけでなく夫には家庭での役割分担も求められる。男の沽券(こけん)はもはや死語。時代と価値観の変化にいち早く対応した新タイプの男性もここ二十年で登場している。

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 「末の子もこの春に小学校にあがった。家庭に支障のない範囲で仕事を始めたい」

 日本全国の家庭でこれまで無数に繰り返されてきたであろう、この種の発言。珍しくもないと思うだろうが、実は発言の主は男性。茨城県日立市に住む“専業主夫”矢沢政義さん(40)だ。昨年、地域の母親たちとホームページ制作などを請け負うグループ「そらいろ工房」を結成した。それぞれが得意分野を生かして一人では請け負えない仕事の発注をもくろむ。

 同い年の妻はメーカー勤務。大学時代に知り合って結婚し、今は三人の子どもがいる。会社を辞めたのは九七年。二人目の子が生まれるときだ。夫婦で家事を分担し、しのいでいたが、子どもが二人になると、夫婦がともにフルタイム勤務では厳しい。どちらかが家庭に入ろうと話し合い、妻が働き続けることにした。

 もともと家事が好きだったわけではない。ただ一家の大黒柱として男が働くのが当然だとも思っていなかった。矢沢さんは「中小企業で働く僕より、大企業の総合職である妻の方が当時、すでに収入が多かった。どんなに頑張っても妻の収入を一生、超えられそうになかった。ならば僕が仕事を辞めるのが家族のための最良の選択だった」と振り返る。

 夫が外で働き、妻が家庭を守る――戦後日本の典型的な夫婦像が均等法施行以降、当たり前ではなくなった。性差なく働けるのなら男が仕事にこだわる理由もない。将来の収入や、昇進・昇格の可能性、個人の適性などを判断材料にし、性別にこだわらず、家庭の家事を柔軟に分担する夫が登場している。

 仙台市の佐藤勝則さん(32)と智子さん(42)夫妻は共働き。しかしすべての家事を夫が担当する。妻は「私の担当はごみ出し。世の中の多くのお父さんと変わりない」と苦笑する。小学校一年の長男(6)と二男(2)は父親が作るごはんが大好き。勝則さんも「子どもたちの『おいしい』の一言が一番うれしい」と話す。

 家事を始めたきっかけは長男がアレルギー体質だったこと。市販の離乳食や総菜を食べられず、食事はすべて手づくり。妻一人に負担を掛けられず、夫も手伝うようになった。長男のアレルギーはほぼ治ったが、いつの間にか炊事から洗濯、掃除まで勝則さんがこなすようになった。

 ともにフルタイム勤務だが、九時から五時の定時で終わる夫に対して、妻の帰宅は早くても夜七時過ぎ。夫は「妻の帰りを何もせず待っているわけにもいかない。時間があるから僕がするだけ」と自然体を強調する。智子さんは「いい夫を見つけたと友達や職場の同僚にうらやましがられる。バリバリ働けるのも、家を任せられる夫がいるから」と感謝する。

 経済同友会が昨年末実施した調査によると、家事分担意識の世代間格差が顕著だ。「家事や育児は夫婦で対等に分担すべきだ」とする価値観を積極的に肯定した一九四〇年代生まれは一六・〇%に過ぎないが、六〇年代生まれは二五・五%、八〇年代生まれは三八・七%が積極的に支持した。

 意識の変化は企業も動かす。旭化成は昨年、男性社員向けの両立支援相談窓口をEO推進室に開いた。「子どもが熱を出した。看病に使える休暇制度は?」「二人目の子どもが生まれる。妻一人に任せられないので何とかして手伝いたい」といった相談が寄せられる。

 EOとはイコール・オポチュニティ(機会平等)の略。推進室は男女雇用機会均等法の施行後、女性社員が働きやすい環境を整えようと九三年にできた。当時から両立支援相談は実施していたが、問い合わせてくるのは女性社員ばかり。ここ数年、男性が相談してくるようになり、専門の窓口を設置した。室長の田中恭代さんは「男性も、育児など家庭のことを自分の問題としてとらえるようになってきた」と説明する。

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 心理学者の小倉千加子さんは「均等法以降、女性の結婚観が変わった」と指摘する。働く機会が限られていた時代、女性にとって結婚は生存のための重要な戦略でもあった。収入のある男性をつかまえて、経済的に依存しなければ生活できない女性も少なくなかった。だが今は男に頼らなくても生きていける道が開けた。

 小倉さんは「正社員として安定した仕事に就いている女性は、独身時代の生活をそのまま保存できることを結婚の条件にしている。家事や育児も過分に負いたくないし、自由になるお金も時間も維持したいと考えている」と説明する。

 この二十年、晩婚化と非婚化に歯止めが掛からない。その根底にあるのはこうした女性の意識の変化だ。男性にとっては、応分の家事分担を覚悟しないと結婚さえままならない時代になったのかもしれない。



 連載へのご意見を募集します。生活情報部「均等法20年」係(FAX03・5255・2682、電子メール seikatsu@tokyo.nikkei.co.jp )、ホームページ http://smartwoman.nikkei.co.jp

「寿退社」過去のものに

 寿退社――。均等法が成立した当時、結婚した女性社員が会社を辞めるのは決して珍しくはなかった。今は結婚したからといって退職を迫られることはまずない。

 総務省労働力調査によると女性雇用者は増加の一途。配偶者がいながら働く女性は一九八五年は九百十一万人だったが、二〇〇四年は千二百四十四万人に上る。未婚の女性雇用者もここ二十年で二百三十万人増加し、昨年は七百十一万人に達した。結婚や出産した後も働き続ける女性が増え、女性の平均勤続年数も八五年の六・八年から二〇〇四年の九・〇年に伸びた。

 一方、国勢調査によると均等法施行後の二十歳―三十四歳女性の未婚率の高まりも著しい。八五年は三九・八%だったが、二〇〇〇年は五五・五%に達した。この間、女性の平均初婚年齢も年々高齢化しており、均等法が女性の未婚化と非婚化を加速したとする声もある。

【図・写真】夕食は手づくりギョーザ。夫の手料理を食べる佐藤さんの家族(仙台市の自宅)


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広がる「女女」格差
非正規雇用に不安
二極化超える方策見えず


 男女雇用機会均等法が目指したのは「能力が性差を超える」社会。今、職場の最前線で見えるのは、その言葉通り実力で地位を勝ち取る女性と、低い給料や待遇に悩む女性との間に生まれた「女女格差」の広がりだ。

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 二十六歳で管理職――。下着メーカー、トリンプ・インターナショナル・ジャパンの隅山恵理さん(28)は昨年五月、平社員から課長代行に抜てきされた。商品の生産量や店舗への配分数の決定を取りしきる。部下六人の半数は隅山さんより年上だ。

 同社は優秀な若手を事実上の課長である課長代行に据える制度を導入。隅山さんはその対象になった。幹部会議の場では社長や役員相手でもひるまず議論する。後輩女性のあこがれの存在だ。

 慶応大卒。女性が活躍する企業に的を絞り内定を勝ち取った。均等法は中学の授業で習った歴史的事実。「男女格差を感じたことはない」

 男女格差の壁を前に退場していった均等法第一世代。しかし直後の「平成入社組」からはバブル期の大量採用の恩恵も受け、たくましく生き残った女性が目立つ。

 JR東日本の「平成元年入社組」、鎌田由美子さん(39)は、子会社のJR東日本ステーションリテイリング(東京)の取締役の肩書を持つ。改札内に商業施設を開発する、いわゆる「駅ナカビジネス」の推進役。飛躍の可能性を秘める事業の陣頭指揮をとる。

 日本女子大在学中、交際していた現在の夫の元には、就職活動時に企業から大量の資料や電話が舞い込んだのに、鎌田さんは門前払い。男女差を実感する時代だった。

 それでもJR東日本に事務系の大卒女性で初めて採用された鎌田さん。実力を発揮できる職場を得て、幹部候補生として育ってきた。「入社後はありがたいことに、均等法の存在を意識する必要がなかった」

 こんな生き生きと活躍する女性たちの対岸に増えるのが、雇用不安や低賃金に悩む女性の姿だ。

 「六月末で契約がうち切りになる」。派遣社員の金子里美さん(仮名、39)は不安だ。十年働いた派遣先から契約更新はしないと言われたのだ。

 大手銀行に勤めたが、あまりに多忙で退社。正社員の口は見つからず派遣社員になった。年収は約二百八十万円。ベテランゆえ正社員に仕事を教えることも多い。「なのに同年代の正社員女性は、私の三倍近い給料。クビになる不安もない」

 派遣社員は二百三十万人を超えた。東京ユニオン執行委員の山崎富美子さんは「正社員との待遇格差にがくぜんとし、それでも契約打ち切りが怖くて懸命に働くが、収入は上がらない。これが非正規雇用の現実」と話す。

 「均等法が女性間の格差を生みだした」。消費社会研究家の三浦展さんは話す。かつては高校や短大卒が多く、学歴差はほとんどなかったし、男女差別により仕事の地位の差もあまりなかった。しかし今は「男性並みに働き高収入を得る総合職女性が増え、そのコースに入れない女性との格差が著しく目立ち始めた」。

 ザ・アール社長の奥谷禮子さんは、均等法施行直後から、こんな「女女格差」の広がりを予見していた。「黒塗りの車が迎えに来る人と、満員電車ですし詰めになる人。能力で評価する社会になれば、同じ女性でも格差がでるのは当たり前」

 とはいえ総合職女性たちも、仕事と育児の両立となると話は別。両立に苦悩し燃え尽き寸前の女性は少なくない。

 IT企業の総合職、五島貴子さん(仮名、33)は、今月から心療内科のカウンセリングに通い始めた。仕事を考えるだけで動悸(どうき)が激しくなり、呼吸困難に陥るようになったためだ。

 乳幼児を二人育てる五島さん。育児休業を四カ月で切り上げ、残業や休日出勤もしてきた。しかし職場はどんどん多忙に。深夜まで働く同僚も数多く、同じ働きはできなくなってきた。自分の不在で子どもが情緒不安定になったのも心配の種だ。「もう限界と思うくらい疲れている」

◆  ◇  ◆

 「成果主義の人事システムは男女平等というが、実際には主婦つき男性社員に絶対優位。仕事と育児両方を担う女性が伍(ご)して働くにはかなりの苦労が伴う」と話すのは日本経済研究センター理事の八代尚宏さん。

 八代さんは「男性のハードワークに女性があわせるのではなく、男性の働き方の見直しこそが必要」と強調する。しかしそんな「第三の道」は、いまだ霧の中にかすんで見えてこない。

 この連載は、石塚由紀夫、辻本浩子、榎本祥子、高橋恵里、鱸正人が担当しました。



 連載へのご意見を募集します。生活情報部「均等法20年」係(FAX03・5255・2682、電子メール seikatsu@tokyo.nikkei.co.jp )、ホームページ http://smartwoman.nikkei.co.jp

第一線は一握り

 男女の雇用機会均等は進んだか。こう聞かれれば答えは「イエス」だろう。では実現したかといえば「ノー」と答えざるをえない。女性は「職場の花」だった時代に比べ第一線で活躍する女性の姿は確かに増えた。しかし、それは一握りの選ばれた人たち。多くの女性はいまだに中枢から遠い「縁辺労働力」として働いている。

 厚生労働省は、来春の通常国会提出をめざし労働政策審議会で均等法の改正論議をスタートした。男女双方への差別禁止などの検討項目で、争点になりそうなのが「間接差別」。外見は性に中立だが、実際には一方の性に不利に働く合理的理由のない基準や規定をいう。コース別人事管理やパート社員の処遇などが候補だ。経営側は強硬な反対を表明しており、今後激しいやりとりが予想される。

 女性の職場進出は進んだ。しかし家庭責任の分担は進まない。仕事も家事も求められた女性は非正社員の道を選ばざるを得ない。正社員として踏みとどまった女性にも、厚い昇進の壁が立ちはだかる。「仕事にすべてをささげる男性中心につくり上げられた社会は結局、変わらないのか」。こんな女性たちの絶望に改正論議はどう答えるのだろう。(編集委員 岩田三代)

【図・写真】26歳で管理職になったトリンプ・インターナショナルの隅山恵理さん


(6/21) 均等法20年女と社会はどう変わった(読者編)「結婚・出産、棒に振った」、両立や格差に悩み苦しむ声

 6月6日付から3回シリーズで連載した「均等法20年 女と社会はどう変わった」に読者から多数の意見が寄せられた。特に目立ったのは今も格差に苦しんだり、働き方に迷ったりしている女性からの声だ。その一部を紹介するとともに、働く女性の現状に詳しい樋口美雄慶応大学教授に聞いた。

 「女性が結婚し、子どもをもうけて男性と伍(ご)して働くのはほぼ不可能です」。夫と自営業を営む女性(40)はメールでこう寄せてきた。

直面する壁

 大学卒業後、コンピューター会社に就職した。男女雇用機会均等法2期生だという。技術者なら結婚や出産をしても働き続けられるだろうと思い選んだ道。しかし自身は会社を退職し、会社に残った友人たちは仕事と家庭の両立の壁に直面している。

 「今は世の中の移り変わりが激しく、必死で働く男性社員ですら自分の職場を確保するのは難しい。子育て中の女性が前線で働くことは企業にとっても本人にとってもつらいこと」と指摘する。

 均等法の成立は1985年。当時、会社に入った女性たちの中には管理職の座を射止めた人もいる。企業内で生き残り、はた目には勝ち組に見える彼女たちも苦悩する。20年の歳月を経ても働く女性を取り巻く環境は必ずしも改善していない。先駆者の役割を担わされた彼女たちの苦労は並大抵なものではない。

 「男社会で女が生き残っていくことがどんなに大変か分かりますか?」。今春、管理職に昇格したというメーカー勤務の女性はメールで厳しく問い掛けてきた。女性を仕事のパートナーとして見ない男性社員と何度も対立し、精神をすり減らしながら働いてきた。「私は結婚も出産もすべて棒に振ったと言っても過言ではない」と訴える。

ガラスの天井

 ある企業の女性部長(44)は「男性並みに認められるため、男性の2倍も3倍もがんばっている」と自ら歩んできた道を振り返り、メールを送ってきた。女性の昇進・昇格を阻む見えない壁として「ガラスの天井」が90年代初頭に話題になった。同じ仕事をしていても男性の方が女性より人事上の評価がなぜか高くなる。均等法は昇進・昇格に際して性別による差別を禁止しているが、この女性部長は「ガラスの天井は相変わらず存在する」と断言する。

 連載3回目では、同じ女性でも、総合職としてバリバリ働く人がいる一方で、派遣社員など非正規社員として不安定で低収入な仕事に就く人がいる現状を紹介した。読者の反響が最も多かったのも、この「女女格差」問題だった。

 「女の職種の格差は正しくないのか。がんばった人とがんばらなかった人を同じに扱う方が不公平」と主婦(39)はメールを寄せた。

「足引っ張るな」

 総合職として外資系メーカーや金融機関などで働いたものの、過労で体調を崩し、退職。「総合職として責任を果たし、プライベートを犠牲に必死で働く女性の足を引っ張らないでほしい」と訴える。

 派遣社員を批判する正社員や、ワーキングマザーの仕事を肩代わりし多忙を極める独身女性など立場が異なる女性を辛らつな言葉で批評する声もあった。

 女性のライフスタイルの選択肢は広がり、今は一つの職場に正社員と非正規社員、独身女性とワーキングマザーなど様々な立場の女性たちが混在する。職場に女性は増えたものの、階層化で個々の女性の孤立感はかつてより高まっているのかもしれない。

樋口美雄・慶応大教授に聞く 働き方の自由度、もっと

 ――働く女性同士の溝が深まっているようだが。

 「業績や職務責任などによって賃金に差が発生するのは、就業意欲を高めるためにも致し方ない面がある。ただ問題はその格差が適正かどうかだ。それと同時に、雇用形態間をどれだけ自由に行き来できるかも重要になる。本人の希望や能力に応じて自由に転換可能なら、選択肢は平等に与えられていることになり、格差も個々人の選択の結果であり、納得を得やすい」

 「女性労働の現状を見ると正社員から派遣・パートといった非正規社員になるのは簡単だが、その逆は難しい。今、広がる女女格差は『個人の自由な選択の結果』などとは言い難い。納得できる格差でないからこそ対立が深まる」

 「経済が右肩上がりなら、取り分に差はあっても一致協力することで、皆がパイの拡大を享受できた。しかしゼロ成長時代にはパイの奪い合いが起こりやすく、誰かが割を食う。育児休業についても、代替要員が認められないなら周囲が忙しくなり、休業取得者に対する周囲の目が厳しくなる。その結果、女性同士の分断が進展し、互いの利害や対立への意識が強まる」

 ――女性の働き方の多様化は均等法効果か。

 「寿退社は今や死語に近い。出産を経ても働き続ける女性は珍しくない。ただ、本当に選択肢が拡大したかというと疑問の点も多い。たとえば子育てなどで一度退職すると、正社員としての復帰が難しいのが現状で、制約つきの選択肢の拡大である。均等法により、『拘束の厳しい男性の働き方ができる女性ならば、昇給や昇進の機会均等が保証される』といった面は強化された。ただ正社員として仕事と家庭を両立できる働き方は、法施行から20年たった今も極めて難しい状況にある」

 ――均等法を含め今後の女性雇用制度の課題は何か。

 「均等法はこれまで、暗黙のうちに正社員として働く男女の機会均等を想定してきたきらいがある。だが今、非正規社員として働く女性は過半数を占める。雇用形態別、あるいはコース別の雇用管理に伴う問題が目立ってきた。少子化の進む人口減少社会においては、関連法規とも連携し、雇用形態間、コース間の均衡待遇の実現や柔軟な転換制度の導入により、真に個人が選択し、能力を発揮できる状況を作ることが重要だ」