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Human Rights

浦部法穂(神戸大学教授)『全訂 憲法学教室』日本評論社2000年・5-6




    21世紀は「人権の世紀」である、ともいわれる。20世紀の後半、国際社会は、「人権」の重要性をあらためて確認し、その国際水準の確立と実効的な保障に努めてきた。そして、21世紀は、この「人権」価値が世界全体に普遍的なものとして受け入れられる時代になるであろうことが、期待されている。

   では、日本の場合、「人権」価値は十分に浸透・定着しているといえるか、となると、どうも怪しいところがある。「人権」という言葉は、英語でいえば"Human Rights"の訳語である。しかし、"Human Rights"と「人権」とは、少なくとも、語感的にはかなりの隔たりがあるように思う。その辺が、日本における「人権」理解のあやふやさに通じていそうな気がする。

    そもそも、"right"を「権利」と訳したことから、この隔たりは始まっていると思う。英語の"right"という言葉には、「権利」のほかに「正しい」という意味がある。ほかに、というのはじつは正確でなく、rightはrightなのであって(名詞と形容詞の違いはあるが)、日本語に訳されたときに違った意味が与えられたのである。つまり、日本語で「権利」と訳されている"right"とは、「正しいこと」という意味なのである。right(権利)はright(正しい)だからright(権利)なのである。とすると、日本語では「人権」と訳されている"Human Rights"とは、「人間として正しいこと」という意味になる。

    しかし、日本語の「権利」という言葉には、「正しい」という意味は全然含まれていない。むしろそれは、自分の利益を押しとおす、といったニュアンスをもっている。さらに、同じ「権」という語が、「権力」というふうにも用いられるから、「人権」の「権」と、たとえば「行政権」の「権」との違いもあいまいになり、「権利」はしばしば、「権力」と同様に、相手を問答無用に黙らせる道具として使われることにさえなる。そのために、人々は、「権利」とか「人権」というものに対して、なんとなく、うさん臭いものを感じているのではないか。だからこそ、「権利ばかりを主張するのはいかがなものか」といったことがいわれたりするのであろう。しかし、そこでいわれる「権利」を"right"という語に置きかえてみれば、「right(正しいこと)ばかりを主張する」のが悪かろうはずはないから、こういういい方のおかしさが明白になる。

    したがって、「人権」価値を日本において浸透・定着させるためには、「人権」を「人権」という言葉で考えるのではなく、翻訳前の"Human Rights"という言葉で、つまり、「人間として正しいこと」というものとして、考える必要があろう。どういうことかというと、人権を主張する側は、それが「人権」だから(憲法で保障されているから)主張するというのでなく、それが「人間として正しいこと」ではないということを、やはりきちんといえなければならない、ということである。こうして、何が「人間として正しいこと」なのかについて、きちんとした対話がなされ、それを通じて社会的コンセンサスが形成されてはじめて、日本社会に「人権」価値が定着することとなろう。



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